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隠れる障害者、隠す家族
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子供の頃、見知らぬ人に出会うとお母さんの陰に隠れる、この様な経験は幼児期に誰にでもあると思います、しかし、幼児期を過ぎても障害者が隠れる、又は家族が隠す行為があります。

障害を持つ子供を自宅から出さず、学校へも行っていない子が保護された事件がありました、これは非常に極端な例ですが、何故、母親がその様な行為に至ったのかを考えると日本の「障害者観」によるものが大きいのではないか?

現代社会では「能力主義」「能率主義」の価値観により無意識に人間のランクを付けています、学校、社会、人が集まる場所ではこの価値観に基づいて関係形成されます。

男だったら泣くな強くあれ、女なんだから女らしく、この様な価値観もあり、その根底には「人は皆同じでなければならない」との意味が含まれ、障害者観に複雑に絡んできます。

何においても、様々な事で「出来る」事は良いことで、「出来ない」事は悪いこと、出来なければもっとガンバレと教育を受けて育ちます、「綺麗なこと」「元気なこと」も良い事としてとらえられています。

逆の言い方をすると、出来ない、醜い、人と違う、病んでいるは、悪いことになります、障害者そのものと言って良いくらい当てはまります、この価値観は日本人全員が無意識のうちに培われたもので障害者、その家族も例外ではありません、更に、「人に頼ってはいけない」「人に迷惑を掛けてはいけない」と教えられます。

出来ないと努力が足りない、ダメな人間と言われ、障害によるものだと一気に「弱者」と呼ばれる、人として生きていく為の教えですが、無意識の内に障害者観ができあがっています。

ある日突然中途障害になった場合、我が子が障害児として生まれてきた場合の、人生が終わってしまった程の悲観に暮れる事実は、無意識に培われた障害者観によるものです。

事故による体の一部の欠損や疾病、やけどなどによる体の変形、「見た目の違いによる畏怖感」
身体機能損傷による能力の欠損、「能力不全」
見た目で判らない内部障害、病気による障害の苦痛、「精神、肉体的苦痛」

障害者は上記の1つ、もしくは全部の事を背負って生きています、家族も肉体的苦痛以外はほぼ同じ思いでしょう、発達障害をお持ちの家族などは、誤解により「親のしつけが悪い」と言う社会的な重圧に耐えて、本人よりも家族の方が精神的な苦痛を味わっています。

障害者自身、家族にとっても上記の障害者観はあり、それにより自分はダメな人間、社会的弱者であると感じ、極端に人と接する事を避ける事が多くあります。

兄弟の場合、思春期の頃に隠す行為が現れます、私の場合兄と歳が離れていますのでさほどではありませんでしたが、私の友人に典型的な行為を記憶しています、その友人のお姉さんに障害がありました、よくその友人の家に遊びに行ってましたが、しばらくの間その存在を私は知りませんでした、たまたま家に行った時にお姉さんと出会ったのですが、その時、友人が烈火のごとくお姉さんに怒り「あっちに行け!」と怒鳴っていました、まあこれは思春期の一過性の物で現在は当然そんなことはありません、この様な事から思春期までに障害者観が出来るとも言えます。

父親はまあ普通聞かれない限り障害の説明は人にしないでしょう、母親の場合、障害児と一緒にいる時間が長く、人と接する機会が多い、そのたびに障害の説明、理解を求めなければならない、当然上記の障害者観と障害者の親は常に頑張らなければいけない的な重圧に耐えてです。

そのなかで心ない言葉を掛けられたり、好奇の目で見られたりする事がつづくと、人に会いたく無くなる事は当然の事でしょう、それがひどくなると家に引きこもり、更にひどくなると上記のような事件になることがあります。

私も隠れる障害者の部類に入ると思います、30代までは子供の集団が苦手で、子供のストレートな言動に恐怖すら感じていました、自分の子供の学校行事も何かと理由を付けては断っていて、子供たちにはかなり恨まれていました。

現在も学校や子供の集団は苦手ですが過去ほどでは無くなりました、きっかけは相方に、このトラウマを抱える原因になった事を洗いざらい話した事でした、(きっかけが無かったと言えばそれまでですが相方はそれを知りませんでした)ただそれだけなのですが非常に楽になり、それと同時に自分自身の障害者観が「相手がこう思っているのじゃないか」、「相手に何か言われるのでは無いか」との思いこみを相方に指摘され、自分自身で壁を作り隠れていたことに気がつきました。

世間一般の大多数がこのような障害者観を持っている訳ではありません、しかし、私のように当事者の障害者観や思いこみにより隠れたり、隠したりする行為が行われているような気がしてなりません。


とは言え、「人と同じでは無い障害者」を嫌い差別的な言動を繰り返す人間がいます、又、障害者を見て不必要な善意を「かわいそうな人だから」と言う障害者観で押しつけてくる人もいます、ありがたいと思いつつもこれは一種の差別ではないかと違和感を感じることがあります。

初対面で、障害について詳しく聞きたがる人もチョット困ります、話したく無い訳ではなく、長い話の割に面白く無く、何となく「障害を見て私を見てない」気がするからです、横に相方がいるときは、相手の視線が障害部分に行ったとたんに「この人、足が悪いから」とスパッと一言で済ませてしまい、すぐに障害者と人では無く、人と人との対話になります、これは見習わなければといつも思いつつ、それと同時に自分の中の壁の高さを実感します。

能力主義、比較の文化が主流の現代日本においてサイトテーマである、心のバリアフリー、ユニバーサルマインドを唱え、意識と言うとてつもなく大きなものを訴えていますが、自分自身の意識改革がまだまだ出来ておりません(/x_x)/


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