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特別支援学校か普通校か 1
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体になんらかの障害がある子供が就学する場合、学校や教育委員会等の役所に相談すればするほど、特別支援学校への就学を勧められる事がに多いようです。

教育現場はある種、一般社会から隔離された独特の縦社会を形成しているような気がしてなりません、更に、「障害児1人1人に適切な教育を」の理念の元に「区別」と言う名の「差別」を公然と発言する役人、現在のバリアフリー、ノーマライゼーションのレベルから、明らかに遅れています。

もちろん障害児の受け入れを熱心に取り組んでおられる学校、自治体も数多くありますが、普通の学校か養護学校に行くかを決めるのは、本人と保護者であり、その希望に対して努力する事を忘れている、もしくはまったく分かっていない担当者が多すぎる。

普通の学校に行った私の場合

1960年代後半から70年代にかけての古い話で、あまり参考にならないかもしれませんが、とぎれとぎれの記憶を頼りに書いて見たいと思います。

当時の私の障害の程度は、両下肢の軽度の障害でしたが、元々の疾病により運動制限があり、治療法も確立されていなかったため症状が出るたびに入院していました。

当然、幼稚園、保育園は受け入れてくれる所が無かった事と、運動制限により母の判断で行っていません、しかし義務教育ではそうはいきません。

通常?の手続きとして、教育委員会に就学相談をして就学時健康診断を受け、学校、指導委員会の判定を受け、親の希望と違う時には更なる折衝を繰り返します、しかし、私の時代は、養護学校へほぼ強制的に決定されていたようです。

普通は、就学時健診を受けその後に就学通知書が届きます、本来、学校に入ることは憲法で保証されていますので、就学健診を受けなくても就学通知書が届き、地域の学校への入学が決定します。

もうお気づきでしょう、そうです、私のおかんは故意に何もしなかったのです、就学時健診を欠席し、就学通知書が届いた後、入学式が迫って来た頃に学校へ出向き、事情を説明したのでした。

私のおかんは加齢により、かなり記憶が飛んでおり、残念ながらその当時の折衝の内容は覚えていないそうです、しかし大変問題になり、何度も話し合いをして入学までは大変だったそうです。

どのような約束が交わされ入学が決定したのかは今となっては分かりませんが、当時の校長、担任の教師は私を快く受け入れて頂いたように記憶しています、入学後、数日は様子を見るために、親が付き添っていましたが、その後は1人で通学していました。

私に取っては初めての集団生活で、結構とまどう事が多かったのですが、この時の担任の先生には本当によくして頂き、学校が楽しくて仕方がありませんでした、しかし2学期の途中から体調を崩し長期の入院になり、1年生の生活はそこまでになります。

入院中、同級生からお見舞いでオルゴール、千羽鶴、励ましの手紙等をもらい、早く退院して学校へ行きたいと願っていました、今でもオルゴールは大切に持っています。

この時、入院が長期になる事が多いため主治医より、養護学校と隣接した療養型の病院への転院を勧められていました、親も見学に行くなどかなり悩んでいたようですが、私の元の学校へ戻りたいとの思いに押されたようです、今となってはこれが良かったのかどうか・・・

出席日数はなんとか足りていたようで、2年生の1学期開始直後に復学しましたが、状況は一変していました、人事異動により校長、担任が替わっていました、私に取ってはこの担任が生涯忘れられない教師でした。

何かあった場合、対処が出来ないとの理由で保護者の付き添いを強要、出来なければどうぞ養護学校へ行って下さいとのような態度、待機部屋や椅子を用意するでもなく、授業中の一部の時間はいったん家に戻り、それ以外のほとんどの時間、廊下で立って母は待っていました、本当に大変だったと思います。

授業参観以外で身内が学校に来る事はいやなものです、自分1人浮いてしまいます、結局この付き添いはなんの意味もなく1学期間続けられました、なぜそれ以降付き添わなくてよくなったのかは記憶に残っていません。

更に、この担任がした事は「配慮」と言う名の隔離政策でした、簡単に言うと「○○君は大変な病気だから近づかないように」と言ったことを私が居ない時にクラス全員に通達していました、席替えの度に隣の子から「病気がうつる」と何度言われた事か(感染性ではありません)、集団の中の孤独をイヤと言うほど味わいました、そしてイジメへと変化していきます。

この担任、30前後の女性教師でしたが、竹刀を持って授業をするような教師で、今でも、眉間にしわを寄せ、唇をかみながら竹刀で児童をたたき、怒っている姿が目に焼き付いています、今の時代じゃ考えられない教師でした。

3.4年生の担任は前任から見事に引き継がれ、と言うか更に輪をかけた様な教師で、付き添いの強要はしなかったものの、徹底した隔離政策でした、このころは非常に陰湿なイジメに遭っていまして、あまり思い出したくない、と言うより、学校が地獄の様な時代で、そのせいか、このころの記憶が欠落しています、担任が男か女かさえ憶えていません、この時期の事が原因で学校に近づけない大きなトラウマになっています。
(この時期病状が悪化し、数日間危篤状態になりましてソレが記憶に影響しているかもしれません)

5.6年生の担任はいい加減な教師でした(笑)、決して悪い意味ではなく、他に表現しようが無いだけです、そのいい加減さゆえに、子供同士で自然に人間関係を創る事が出来ました、つまり不必要な配慮などせず、出来ないことは無理をしない、しかし出来ることをより多く探し、みんなと一緒にやって行こう、と言う広く大きい配慮で接して頂きました、この頃にはイジメも無くなり、今でも交流がある友人が多く出来ました、この先生は卒業後の保護者との謝恩会で、私の卒業を本当に喜び、母の前で泣いていたそうです。

以上が小学校卒業までの事ですが、担任の教師によりこれほど天国と地獄の差がでる経験をしました、いい先生とは何か?熱心な先生?、子供と保護者に理解がある先生?、一見この様な先生がいい先生に思われがちですが、その熱心さゆえに早々に手を尽くしてしまい、後はお手上げの教師も多くいます。

教育現場では何らかの問題がある児童は必ずいます、しかし問題が障害や難病になるとなぜこれほど特別視するのか?そして、教師として、いや人間としてのレベルの格差はなんなんだ。

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